相平衡での平衡条件が知りたい
真空の断熱容器の中に、水を入れる。すると、水の一部は蒸発し、やがて水と水蒸気の割合が変化しない平衡状態になる。この状態を求める方法を考える。例えば、水と水蒸気の割合を知りたい。マクロ同値性を仮定すれば、平衡状態を確定させるために必要なのは、容器全体のエネルギー
・体積
・粒子数
である。これらが与えられたときに、水と水蒸気の
をそれぞれ求める方法が分かれば、水と水蒸気の状態がそれぞれ確定することになる。
前章の場合と同様に、平衡状態では、全エントロピー
が極大になる。添え字の
は液体(liquid)、
は気体を表す。断熱容器内に水を入れることを考えると、制約条件は、エネルギー
および体積
、粒子数
の和がそれぞれ一定:
となる。従って、平衡状態は、制約条件()の下での式()の極大点となる。このままでは扱いづらいので、これまでの章のように「温度が等しい」とか「圧力が等しい」といった形に変形したい。未知数は式()の左辺の6つであり、これら全てを特定するのに必要な平衡条件は3つである(式()の3つと合わせて6つになり未知数の数と一致する)。
ただし、水と水蒸気のエントロピーやエネルギーをどのように測定するかを考える必要がある。例えばエネルギーには原点の取り方に任意性があるが、水にエネルギーを加えて水蒸気にすることができるので、水のエネルギー
の原点を決めると、水蒸気のエネルギー
は一意的に確定する。後述のように、エントロピーについても同様である。
この章では、まず平衡条件を書き下し、その後エネルギーやエントロピーの測定法について述べる。
多相系の平衡条件転移エネルギーと転移エントロピーの測定
7.1多相系の平衡条件
この節では、水と水蒸気が共存する場合の平衡条件が式()となることを示す。
物質は、圧力や温度により、固体・液体・気体に変化する。これらの状態を相という(それぞれ固相・液相・気相という)。2つの相が共存している系を、二相系という。
二相平衡の平衡条件:式()
式()の極値条件
:
が、制約条件():
を満たす任意の微小変位のもとで成り立てばよい。
前章で見たように、一様な系のエントロピー
の微分は:
である。
これを用いると、式()は、(制約条件()を使って水蒸気に関する微小変位
などを消去して)以下のようになる(
)
微小変位
は任意にとれるので、これらの係数は全てゼロである。即ち、温度・圧力・化学ポテンシャルがそれぞれ等しくなる:
前章でも温度と化学ポテンシャルが至る所で等しくなったので、この結果はそれと同じになっている(前章では重力があったため圧力は場所に依存した)。
未知数は、各相の
の6つであり、条件も、平衡条件()および制約条件()の6つとなり、足りている。
(参考)三相平衡の平衡条件:式()
ついでに、三相平衡も考えておこう。これは、氷・水・水蒸気が共存するような平衡状態である。平衡条件は、二相平衡の場合と同様に、制約条件:
のもとで、エントロピーの和に対する極値条件:
を考えればよい。添え字の
は固体を表す(solid)。
二相平衡の場合と同様に、式()を用いて、式()から
を消去すると
を得る。微小変位は全て任意にとれるようになったので、係数は全てゼロである。これは、以下と等価である:
即ち、すべての相の間で、温度・圧力・化学ポテンシャルが一致するわけである。これにより、3相すべての
が決定できる(未知数の数は9であり、式()の3つと式()の6つで足りている)。
なお、三相平衡の場合、温度と圧力は、制約条件の値によらずに一意的に決まる(以下の【7.1-注1】)。第1章でも述べたが、この点のことを、三重点という。二相平衡の場合は、圧力を決めれば温度が一意的に決まる。従って、圧力を一定にしたまま二相平衡を保てば、容器の温度を一定に保つことができる。例えば、1気圧下での氷水の温度は、常に
になる(現実的には熱の出入りがあるので厳密な平衡状態にはならず温度が少し上がる)。
【7.1-注1】ギブスの相律
一相平衡では、温度
と圧力
は任意にとれる(=自由度は2)。二相平衡では、
と
の一方を決めると、他方も決まる(=自由度は1)。三相平衡では、
と
は一意的に決まる(=自由度は0)。これをギブスの相律という。
導出
温度
と圧力
は、局所的に定義できる量なので、系のサイズには依らない。実際、エネルギー密度
と粒子数密度
の関数である。一相平衡では、
を任意に設定できるので、
についても独立である。
二相平衡の場合、両方の相の
、合わせて4つの変数があるが、平衡条件()により3つの条件が課されるので、自由度は1となる。よって、
の一方を決めると他方は自動的に決まる。
三相平衡の場合、変数は、3つの相の
、合わせて6つである。一方、制約条件は式()の6つであり、数が一致している。従って、解が1つに決まる。
7.2転移エネルギーと転移エントロピーの測定
エネルギーやエントロピーは、微分方程式て定義されており、原点の取り方に任意性がある。この節では、1つの相
で原点の取り方を決めると、ほかの相
での原点は自動的に決まることを述べる。特に、転移エンタルピーを測定すれば、相
のエネルギーとエントロピー両方の原点が決まる。
エネルギーの原点の決定:式()
第1章で述べた様に、エネルギー
には、原点をどこにとるかという任意性がある。
は、モルエネルギー
に粒子数
を掛けたものである:
(一様な系の場合)。よって結局、
の原点の取り方にのみ任意性がある(エネルギー密度
の原点の取り方とみてもよい)。
液体と気体が相互に変化しあうような場合、2つの相のモルエネルギーの原点を任意にとってしまうと、孤立系であっても、全エネルギー
:
は保存しない。というのも、液体-気体間の変化に必要なエネルギー(=転移エネルギー)が考慮されていないからである。(液体と気体が相互に変換しない場合であれば、エネルギーの原点は、両方とも任意にとってよい。)
これを考慮するには、例えば液体のモルエネルギー
を決めたうえで、その液体を全て蒸発させ、その時に要したエネルギー
を測定すればよい。相転移前後の状態をによって
の値は異なるわけだが、制御しやすい温度
と圧力
が相転移の前後で変わらないように定義する分かりやすいだろう:
を転移モルエネルギーという。
は2つの相の共存線上にとる。(
については、各相で異なる値にとることがある。)
圧力を保ったまま液体を気体に変化させるために加えた熱エネルギーを
、その時の体積変化を
とする(ともに
あたりの量)。この時の転移モルエネルギー
は、
および膨張によって失ったエネルギー
を足したものになる:
(圧力
を一定に保つために準静的に行う。)
は各相の状態方程式から導出できるので、未知なのは
である。
を転移モルエンタルピーという(エントロピーentropyではなくエンタルピーenthalpy)。
水の転移モルエンタルピー
は、
の水蒸気圧(=1気圧)下では、
である。エンタルピーとは、等圧下で得た、または失った熱エネルギーのことである。特に、化学反応などでは、等圧での実験(例えば大気圧下)が自然であるため、このような専用の用語があると有用なのである。上述のように、体積変化の影響により、エネルギーの変化とは一致しない。
このように、モルエネルギーの原点を決める際、液体と気体の一方の原点を決めると、もう一方の原点は自動的に決まる。エネルギーの原点を調節するだけであれば、ある1つの
について
を測定すれば十分である。(個体も含めた3相系であっても同様に、1つの相の原点しか自由に取れない。)
エントロピーの原点の決定:式()
エントロピーについても、一方の相の原点を決めると、他方の原点が一意的に決まる。例えば、容器に液体のみが入った状態で、容器を準静的に膨張させていき全ての液体を気体に変換する操作を考えればよい。この操作は可逆なので、エントロピーは保存する。従って、気体側のエントロピーは液体側のエントロピーから決まる。
とはいえ、上述の転移エネルギーの場合と同様に、
を固定した状態での転移モルエントロピー
を考えるのが自然である。モルエントロピー
の微分は
である。
を固定しているので、右辺の係数は定数である。よってこの式は、準静的な操作において、1次近似ではなく厳密に成り立つ:
全て液体の状態から、全て気体の状態まで変化させると、右辺の分子は転移モルエンタルピー
(式())になっている:
従って、ある
において
を測定しておけば、気体側のエントロピー原点を決めることができる:
以上により、転移モルエネルギー
とモル転移エントロピー
を求めるために必要なのは、モル転移エンタルピー
であることが分かった。そうして、ある1つの(2相が共存可能な)
において
が決まれば、液体のエネルギーとエントロピーの原点を任意に決めることにより、気体側のそれらの原点の取り方が一意的に決まる。