熱力学編 第6章

重力下での密度分布

重力下に置かれた容器内の気体の粒子数密度は、式()で与えられる。

重力がある場合の密度分布は、エントロピーの極値条件から決まるはず

気体が入った容器を重力中に置く。すると、気体の密度が高さによって変化し、上に行くほど密度が小さくなる。理想気体の場合に、この密度分布を求めたい。これまで(温度が高く、容器が大きくない場合を想定することで)無視してきた重力の影響を取り入れたいわけである。

第4章でも述べた様に、平衡状態は、それ以上変化が起きない状態なので、不可逆性(=エントロピー)が極大になっている状態だと思われる: よって、エントロピー関数を求めて、(適当な制約条件の下で)その極値問題を解けば良いということになる。

今考えている容器は、非一様である。一方、一様な理想気体のエントロピーについては既に分かっているので、これを援用して、容器のエントロピーを求めたい。そのためには、容器を仮想的に微小体積要素 に分割すればよいだろう。各々の の中では一様とみなせるということである。(微小体積といっても、分子が数個しかないという状況ではなく、平衡状態が定義できる程度にはマクロな体積を考えている。)

系全体のエントロピー は、 のエントロピー の総和: となりそうである。正当化しておこう。容器が平衡状態になっている時、非常に薄い断熱仕切りを挿入する操作は、可逆であり(仕切りを取ると元の状態に戻る)、分子の分布が変化することもない。従って、仮想的に を取り出したものと、断熱仕切りを入れて物理的に分離したものは等価である。後者の場合は、全体のエントロピーは部分系のエントロピーの和になることはこれまで述べた通りである(エントロピーの加法性)。従って、式()が成り立つと考えてよい。

理想気体のエントロピーは既に与えているので、式()の は求まる。ただし、 内の粒子数は変化し得るので、粒子数を変数とする必要がある。 が求まれば、式()で定義された全エントロピー の極値問題を解くことによって、重力下での気体の分布を求めることができる。

この章では、まず、性質()が成り立つことの確認として、第1章と第2章の平衡条件を再現できることを示しておく。その後、冒頭の問題を解く。

6.1平衡状態は、エントロピーの極大点である

この節では、性質()の例として、第1章と第2章の問題に対して、確かにこの性質が成り立つことを確認する。

エネルギー表示したエントロピー :式()

前章では、エントロピーの の関数として表した: 。その微分は であった。ここでは、全体のエネルギー が保存するという制約条件を課すことになるので、 ではなく、 表示した にしたい。

これを 表示にするには、エネルギー の微分 を使って、赤字部分を消去すればよい: さらに 部分に熱力学的状態方程式を用いると

となる。

複数の容器がある場合、全体のエントロピーは、各々の容器のエントロピーの和を取ったものになる。

第1章での平衡条件の再導出:式()

第1章では、体積が変化しない2つの容器を熱的に接触させたときの平衡状態を考えた。2つの容器がある場合のエントロピーは の形で書ける。平衡状態では、エントロピーが極大になるので が成り立つ。

ただし、 は任意の値をとれるわけではない。体積は固定されているので であり、エネルギー保存則より全エネルギー の微分がゼロ: という制約条件が課される。

これらの制約条件を使って、式()から を消去すると となる。 は任意の値をとれるので、結局この式は、温度が等しい: を意味する。よって、第1章と同じ結果になった。

もっとも、この結果は、温度を定義する際に既に認めていたことである(容器に温度計を差込んで温度が測れるためには、容器と温度計が同じ温度にならなければならない)。従って、上記の結果は、理論的に導出したというよりは、エントロピーの極値問題から平衡状態が正しく導出できることの検算である。なお以下の6.4節で見るように、エントロピー存在および加法性を認めれば、そこから、温度の概念を導出することもできる。

第2章での平衡条件の再導出:式()

次に、第2章の問題である。第2章で扱ったのは、上の系に対して、体積が変化できるようにしたものである。体積の和は一定なので、式()を で置き換えればよい。第2章で経験的に課した平衡条件は、温度と圧力がそれぞれ等しいという条件であった。これを再現したい。

この式とエネルギー保存則()を用いて、式()から を消去すると となる。 は任意の値をとれるので、各々の係数はゼロである。 の係数がゼロであることより等温条件が得られ、 の係数がゼロであることより等圧条件が得られる: よって、第2章の平衡条件と一致している。

温度や圧力が等しくなるという条件を手で課さずとも、エントロピーの極値問題を解くことで自動的に出てくるわけである。確かに、エントロピーの極値点が、平衡状態に対応していそうである。これを認めることにしよう。

6.2粒子数 の関数としてのエントロピー:

この節では、容器の内部が一様な場合について、粒子数 に依存するエントロピーの求め方を示す。冒頭で述べた様に、一様でない場合であっても、微小体積要素を考えれば、一様な場合のエントロピーの和として表すことができる。

粒子数 の単位は とする(モルと読む)。 はおよそ 個の粒子を表す。( は単位だが次元はない。これはキロメートル が無次元の なのと同様である。)水素原子 がおよそ になる。水分子であればおよそ である。 単位で考えるのは、そのほうがイメージしやすいのと、粒子数1個当たりの体積などを考えてしまうと、小さすぎて、熱力学で扱うマクロスケールの考えにそぐわないからである。

一様な容器における、 表示のエントロピー :式()

一様な容器に断熱仕切りを入れて、容器の体積を 等分する。この操作は可逆であり、全体のエントロピーは変化しない。各部屋は等価なので、各部屋のエントロピー は全体のエントロピー 倍であるとしてよい: このことは、エントロピー密度が定義できることを示唆している。

実際、元の容器の体積を とし、その容器内の任意の仮想的な体積を とおく。 を適当な整数 を用いて と表すことができる(体積比を有理数とみなしている)。これは、 等分された容器が 個ある状態なので、 部分のエントロピー は、全体のエントロピー を用いて と書ける。即ち、 に比例しており、その比例係数 がエントロピー密度になる。

全体のエントロピー の関数なので、エントロピー密度 は、 の関数である: の関係式は である。一様でない場合でも、 を積分すれば、全体のエントロピーになる。このように、「密度が定義できる」という性質のことを示量性という。同様に、エネルギー密度 や粒子数密度 についても定義できる(密度量を小文字で表す) このように、密度量は小文字で表すことにする。

一様でない系であっても、エントロピー密度を積分することにより、全体のエントロピーが得られることになる。ただし、位置エネルギーが存在する場合、位置 に応じてエントロピー密度の関数形が変化することになるので、 のように表記すべきである。

なお、厳密に言えば、容器の境界や容器内部での相の境界(界面)では特異な性質を持つことがある。その場合、全エントロピーは、内部エントロピーと界面エントロピーの和になる。(例えば、容器の壁に分子が吸着する場合や、容器の境界での分子の並びが内部と異なる場合である。)界面エントロピーは、面密度として定義することになる。体積が小さい場合、相対的に界面の性質が効いてくる。例えば、水であれば、体積が小さくなると表面張力が目立つようになる。

エントロピー密度の代わりにモルエントロピー で表す場合:式()

示量的な量 に対して密度 が定義できる。これは単位体積あたりの量である: 一方、 あたりの量 で表すこともできる。 をモル量と呼ぶ。実際の測定では、体積 よりも粒子数 を一定にするほうが容易なので、こちらのほうが自然である。密度量 とモル量 は、上の2式から を消去することにより、以下の関係式を満たす:

エントロピーに対するモル量 をモルエントロピーという。(接頭語のモルは「 あたりの」という意味である。) を決定するには、 が変化しない容器の を測定し、それを で割ればよい: モルエントロピー が測定から決まれば、任意の に対するエントロピー となる。よって結局、 が変化しない一様な容器の を測定すれば、その容器の を調べることで、 やエントロピー密度関数 も決まることになる。

の微分:式()

平衡状態を求めるには、式()のように微分が必要になる。 の場合、微分は以下の【6.2-注1】のようになる。

【6.2-注1】エントロピー の微分

エントロピー の微分は以下のようになる: を化学ポテンシャルという。一様でない場合には、密度量で表せばよい: あるいは、モル量で表すこともできる:

式()、あるいは、両辺を微分して式()を代入した のことをギブス・デュエムの式という。

導出

未知なのは の係数 である。これが式()になることを示せばよい。式()より、 は、エントロピー密度 という2変数関数が与えられれば決まるので、 を各変数で偏微分して得られる3つの量のうち独立なのは2つだけである。よって、偏微分係数間の関係式が存在する。これ導くには、実際に式()を微分してみてもよいが、示量性に着目すると容易である。 倍すると式()より が成り立つので、オイラーの同次関数定理(以下の【6.2-注2】の式())が適用できる: これを について解けば、式()のものに一致する。

化学ポテンシャル は、直感的には、「可逆かつ体積を変えずに の粒子を加えた時のエネルギー変化」である。実際、等エントロピー(=可逆)かつ等積の場合、 とすることにより、式()は となる。

前節でみたように、2つの容器が接触している場合、全体のエネルギーと体積が一定であれば、式()の の係数、即ち、 が等しくなるのだった。これに加えて全体の粒子数も保存する場合、同様の議論により、 の係数に対応する化学ポテンシャル が等しくなる。化学ポテンシャルの最も重要な性質はこれである。例えば、氷と水が共存している場合、両者の化学ポテンシャルが一致するという条件が課されるわけである。これを使って、氷と水のエントロピーから平衡状態(例えば氷と水の比率がどうなるか)を求めることができる。これについては、第7章で述べる。

【6.2-注2】オイラーの同次関数定理

オイラーの同次関数定理:任意の同次1次関数 に対し

が成り立つ。

同次1次関数とは、 倍したものと、 倍したものが一致する関数である は任意の定数) (要するに定数項を持たない1次関数である。)

導出

定義式()の両辺を で微分すると、左辺に連鎖律を用いて

この式で、 とおくと式()が得られる。

なお、式()は、同次 次関数に自然に拡張できる。

6.3重力下での気体の分布

重力下に置かれた容器のように、一様でない場合、全エントロピー は、点 でのエントロピー密度 を積分すればよい: これの極値を、全エネルギーおよび全物質量が一定: のもとで求めたい。容器内での の分布が未知数となる。 を極大にするような の関数形を求めたいわけである。

この節では、平衡条件が式()で与えられ、理想気体の場合、 が式()になることを示す。エントロピー密度関数 は既知であるとする。 は高度である。位置エネルギーが高さで変化することを考慮している。

重力下での平衡条件:式()

平衡状態にあるとき、全エントロピー は極大となっているのだから、式()を変化させないような任意の微小変位 のもとで、 は変化しない: 被積分関数は、式()より

上記をまとめると、平衡条件は を満たす任意の微小関数 のもとで を満たすことである。

まず、 のみ値を持ち、 はゼロの状態を考えると、平衡条件は となる。 は任意の関数なので、これが成り立つには でなければならない。同様に、 のみ値を持つ場合を考えると、 となる。よって平衡条件は である。即ち、温度と化学ポテンシャルは、容器内の位置によらない。

理想気体の場合の密度分布:式()

式()を使うためには、化学ポテンシャル が分かればよい。理想気体の場合、 を高度として、以下で与えられる:(以下の【6.3-注1】) この式を平衡条件()に代入すれば、モル体積 が求まる: モル体積は分かり辛いので粒子数密度 にすると、変換式()より が得られる。

これを見ると、高度が上がるにつれて指数関数的に減衰することが分かる。圧力についても同じ挙動を示すことが、状態方程式から分かる: 比例係数は式()から決まるが、実験的には、ある一点での または を測定すれば決めることができる。

【6.3-注1】理想気体の化学ポテンシャル

重力下での理想気体の化学ポテンシャル

である。(本文中で が一定という条件を使いたいので、 を消去して で表した形にしている。)

導出

一様な理想気体の状態方程式は であることが知られている。 を気体定数という。また、エネルギー関数は である。 はモル熱容量と呼ばれる定数であり、気体の種類に依存する。 はそれぞれ、気体のモル質量、重力加速度、高度である。

これらの式をモル体積 およびモルエネルギー で表すと である。第3章の【3.1-注1】を見比べると、モルエントロピーは となることが分かる。これらを、化学ポテンシャル の定義式()に代入すれば、式()が得られる。

6.4(参考)エントロピー を用いた熱力学の再構成

原理的には、エントロピーの 表示であるを の関数形は、温度という概念を用いなくても測定から決定することができるだろうか。もしできるのであれば、温度 は、式()より から定義されることになる。これまでは、温度の存在を前提にしていたが、エントロピーから温度の存在が導かれることになる。そうすれば、熱力学に登場する、温度・平衡状態・不可逆性といった概念が全てエントロピーから導出されることになる。

この節では、実際にそれが実現できるために必要な、エントロピーの性質について述べる。

エントロピー の性質

孤立系を放置すると、やがてマクロに変化しない状態に移行する。この状態を平衡状態という。(孤立系といっているが、重力などの静的な外場はあってよい。)各々の平衡状態には、エントロピーと呼ばれる実数値 が対応付けられる。マクロ同値性を持つ系では、エネルギー と体積 を決めると平衡状態が決まるので、 の関数である: (エルゴ―ド性を持たない場合は、平衡状態を詳細に区別するパラメータを追加する) は、以下の性質を持つ:

  • は、可逆な操作では変化しない。不可逆過程の場合は、増大する。特に、摩擦の無い準静変形は可逆である。
  • エントロピーは加法的である。即ち、複数の容器がある場合、全体のエントロピーは、各容器のエントロピーの和である。(ただし、分子が帯電しているなどして、マクロな相互作用をしている場合は成り立たない。)
  • 平衡状態では、制約条件のもとで、エントロピーが極大となる。

温度の導出

これらの性質を使って、エントロピーを測定する方法について述べ、温度の概念を導出する。まず、準静変形では が成り立つ。この操作でエントロピー は変わらない。よって、一般に、 の微分は、積分因子の逆数を として の形になる(今は が熱力学温度であることを知らない) を実験的に決めることを考える。

式()の可積分条件(偏微分の可換性)より 微分公式 を使うと、式()は熱力学的状態方程式 に一致する。これを満たすからといって、 が熱力学温度になると言えるわけではない。第4章で述べた方法でこの式から を実験的に決めるためには が必要だが、これが今の段階では未知である。実際、 を測定するには、 を固定した状態で体積 を変化させる必要があるが、どのように を固定すればよいのかまだ不明である。(第4章では温度計の存在を仮定していたので、 を固定するような実験が可能だった。)

よって、 を固定する方法を考える。 が温度になることを知っているので、温度計の場合と同様に、2つの系の熱接触を考えれば良いという見当が付く。2つの容器の熱接触での平衡条件は、第1節で述べた様に、体積を固定し、全エネルギーが一定として となる(ここでエントロピーの加法性を使っている)。よって、熱的に接触させた系では、 は等しくなる。これを使って、 が変化しないような実験が可能である。よって、 が測定により決定できる。

このようにして を決定する操作は、第4章で述べたものと同じである。従って、 は熱力学的温度である。以上により、温度の概念および熱力学的温度が、エントロピーから導出できたことになる。